<無料占い> 好意が怖い。 ゆーさんより。

 
 
 今回は、ゆーさんからのご相談です。「私は人から好意を持たれると怖くなってしまいます。異性にも同性にもです。自分から『この人は好き』と近づくことはできるのですが、向こうから話しかけられたり好感を持って接せられたりすると怖くなるのです。どうして自分に好感を持ったのか分からない、自分に自信が無いことが原因なんだろうとは思うのですが、せっかく仲良くなるチャンスを自分で潰してしまうことが苦しいです。どう解決していけばいいのか、教えてください。」とのご相談内容です。
 
 
 「教える」までには至らないかと存じますが、ひとつの指針を提案することができれば、と思っております。
 
 
 得られた卦は、「離(離為火)」です。最上図をご参照ください。
 
 
 「離」は、現代の感覚とは逆ですが、「麗(り)」、「くっつく」ことを意味しています。くっついて素直に行動すべきなのですが、その前提としてくっつくべき対象をしっかりと選ぶべきことを象徴しています。
 
 「離」の卦は、上下とも火・太陽を意味しています。火のような情熱・明るい知性を示すかたちです。「知性を磨き、天下を照らすべし」という言葉が示されています。
 
占いの言葉は、
 
 「離」とはくっつくこと。
 日月は天につき、草木は地につく。人は明るい知性によって、正しい道につけば、発展する。
 下から二本目に陰がある。従順さを大事にすることだ。
というものです。
 
 「離」の卦が象徴するのは、「麗」、「くっつく」ことです。
 しかし、何でもかんでもくっつけば良いかというと、そうではありません。
 「離」の卦は上下とも火を意味します。くっつく、着火の対象が不燃物では意味がないし、また、燃やしてはいけないものに火をつけては放火になってしまいます。
 だからこそ明るい知性(火・陽)をもって、燃やすべき情熱の対象をきちんと選んだ上で、燃え上がるべきであるということが示されています。また、火は取り扱いに注意すべきもの。慎みをもって、控えめに扱うのが重要だということです。
 人間関係全体について言うと、冒頭の図を見てもらいたいのですが、自分の心の柔らかい部分(内心)という陰を、硬い殻という二本の陽で挟んでいる形が、上下に向かい合っています。
 お互いに内心を見せない、見せられない、どうも意気投合できない、そういうかたちであると言われています。
 
 
 
 以上のような「離」の卦を踏まえて、ゆーさんのお話とあわせて、運勢を判断します。
 
 
 
 結論です。
 
 「理詰めで考えてみる」のはいかがかと、提案いたします。
 「その人と接することで、失う可能性があるもの」をリストアップし、危険性の大きさとその蓋然性とを意識してみるという発想は、いかがかでしょう。
 
 
 
 
 今回得られた卦は、「離」です。
 「離」は、上下とも「火」というかたちをしています。
 「火」は、「情熱」、「知性・理性」、「明るさ」、「くっつく」、「美しさ」等の事象を象徴します。
 そのため、「理性・知性で情熱をコントロールし、何とくっつく(何についていく)かを判断する」ことが重要とされる運気です。気をつけなくてはいけないのが、「炎上」・「情熱の空回り」となります。
 
 「離」の卦の最大の特徴は、「理性」です。
 したがいまして、「漠然とした不安」をお持ちである今回のご相談については、「理詰めで考えてみる」という方針はいかがかと。
 そのように、提案いたします。
 
 
 「好意を向けられると、怖い」。
 「怖い」という感情は、「自分に何らかの害があるのではないかと思う」というものですよね。
 犬が怖い人は、「噛まれる・吠えられる」という「害があると思う」から怖いわけですし。
 男性が怖い人は、「体格・筋力が勝る相手に、何か暴力的な振る舞いをされる」という「害があると思う」から怖いのではないかと。
 
 で、あるならば。
 好意を向けられた場合には。
 その人が近づいてきたとして。あるいは、自分の生活圏内に入り込んできたとして。
 「そのことにより、何の害があるか」を検討してみては、いかがでしょう。
 
 たとえば、小さな子供さん。「お姉ちゃん大好き」と言われて、近づいてきて、友達になったとして。
 何の害も無い。怖くないですよね。
 一方で、私のような中年男性の場合は、「小さな子供に好意を向けられる」ことには、一定の「怖さ」があります。
 何か誤解が生ずると、社会的信用を失うという「害があり」、しかも子供のすることは訳が分からないという意味で、「害が起こる蓋然性について、計算が立たない」からです。
 
 同年代の、同性から好意を向けられたとした場合。
 「友達になったとして、何か害になることは、あるだろうか」と考えてみてはいかがでしょう。
 その人がセールスや宗教の勧誘目的であるとするならば、「経済的な害」や「社会的な害」が起こり得ます。
 その蓋然性は、どれぐらいでしょうか。何かあった時に、どの段階からならば、引き返せるでしょうか。周囲の友人や親戚、大人から、フォローがどれぐらい期待できるでしょう。
 「そんな蓋然性、ほとんどない。」という結論に達したならば、何も怖いことはありませんよね。
 
 異性から好意を向けられたとした場合。
 「お付き合いしたとして、何か害になることは、あるだろうか」と考えてみてはいかがでしょう。
 パッと思いつく限りでは、暴力の問題、性の問題、またあるいはお金の問題が、リスク要因、「害の要因」となり得ます。
 では、そうしたことが起きる蓋然性は、どれぐらいあるでしょう。
 何かあった時に、引き返せそうでしょうか。周囲のフォローは、期待できそうでしょうか。
 「そうした計算高さを、身に付ける」という方向性です。
 
 別にいやらしい話でも何でもありません。
 「見るからにだらしなく、浪費癖があり、あちこちで女性を口説いている。暴力的だ」という雰囲気の男性を、世の女性の多くは「怖い」と言って避けますよね。好意を向けられても、逃げます。
 それは「理性的」(「離」)な行動であって、何を非難されることもありません。
 (そういう男性に魅力を感じる女性もまた多いかとは存じますけれども、それは、そうした男性についての魅力と危険について、その人なりに「理性的に判断しているから」こその行動かと。)
 
 
 「自分に自信が無い」というお話です。それも一因ではあろうかと存じます。
 ただそれを、「自信」という言葉で説明しないほうが良いような気がします。 
 極端な例ですけれど、190cm・100kgの男性は、あまり他人を怖がらないことでしょう。
 その人は、「自分は暴力という害を恐れる必要がない」ということを、理解できているからではないかと。
 「その人には、自信がある。私には、自信がない」という説明の仕方をするのではなく、「その人には、体格と筋力がある。私には、『体格と筋力が』無い。だから、『体の大きな男性が』怖い」。
 「自信」といったガバガバの定義ではなく、分析的に考えて、たとえば「体格と筋力」というように、実際に存在するものへと要因を小さく限定していく。
 そうすれば、たとえば、「小柄な人からならば、好意を向けられても怖くない」と思えますよね。
 そうした発想からスタートしてみることも、可能かと思うのです。
 
 「相手の人が、自分に何の害をもたらせると言うのか、もたらせないじゃないか」ということが分かれば、好意を向けられても怖くない。……ということは、あるのではないかと。
 そのように、見立てます。
 
 
 

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