カテゴリー別アーカイブ: 占い雑談

<占い雑談> 質問。 mさんより。

 
 
 
 今回は、mさん(女性・30代)からの、「易占いの結果は、どのくらいの期間有効なのでしょうか?」とのご相談です。
 
 易占は、「問題やお悩みに対する、解決の指針を提示する」という性格を持つ占いです。
 
 したがいまして、「ご相談内容となっていた問題やお悩みについて、占いの結果に基づいて(あるいは、占いの結果を振り捨てて)、決断し、行動した。」としまして。
 「良くも悪くも、その結果が出た時点まで。」ではないかと、私は考えております。
 
 意を尽くせていないところがあるかとは存じます。
 また、具体的なケースごとに、異なるところもあるかもしれません。(行動の途中で事情が変化した時なども、いわゆる「有効期間切れ」になることがあります。)
 ただ、「易占(周易)は、個別の問題やお悩みに対応するもの」であることは、確かかと。
 したがいまして、そうした「個別の問題や、お悩み」の範囲で、有効期間が決まってくるというところは、あるかと考えております。
 
 ちょうど先日、似たようなご相談をいただきました(こちらです)ので、あわせてご参照いただければ、幸いに存じます。
 
 
 

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<占い雑談> 出た卦の有効期限について。 kさんより。

 
 
 
 今回は、kさんからのご相談です。「以前、『危なっかしいがゆっくり良くなってきている』という感じの内容だったので、できる範囲で様子を見つつやっていますが、何か思い切った決断が迫った時に躊躇しそうな気がしています。自分の性格と照らし合わせると、卦に添うためには、意識的に抑制をかける必要があるように感じています。占っていただいた内容が、大きな問題に対するものだったので、範囲が広すぎて段々どうしたら良いか分からなくなってしまいました。特に差し迫った何かがあるわけではないのですが、聞いてみたくなりました。」とのご相談内容です。
 
 
 あんまり決め付けてもいけないかとは思っているのですが……。易占(周易)はもともと、「大雑把な問題や、長いスパンの問題を扱うには向いていない占い」であろうと、考えております。
 単論点型と言いますか、「今抱えている問題について、何か指針はないものか?」ということを探っていく、というところがあります。
 ここが、同じ東洋の占いでも、算命系の占いと大きく異なるところかと感じております。
 算命系の占いとは、たとえば四柱推命(八字)などが、その典型ですが。
 誕生日やその時刻を、データとして相談者に提出してもらい、その上で、「ですから、あなたはこういうタイプです」、「今年のあなたはこういう時期にあたります」、「あなたの一生の運勢の波は、こうなっています」的に考える占いです。「今抱えている問題」についても、その波や流れとの兼ね合いから考えて行く占いであろうと。
 (算命は専門ではありませんので、正しいことをお伝えできているかについては、やや自信がありませんが。)
 
 したがいまして、「特に差し迫った何かがあるわけではない」場合には、易占の結果には、あまり捕らわれなくても大丈夫です、と申し上げます。
 あるいは、例えば、「私の人生は?」という大きな問いを立て、卦が得られたとしますと。「日頃は、それをやや意識しつつ行動してみる」ということは、悪くないと思います(やはり、捕らわれるべきではありませんが)。
 そうして日々を送る中で。何か大きな問題が発生して、「かつ、解決策が見つからない」ような事態に至った場合に、「改めて、その問題のみについての占いを立てていく」のが、易占の利用の仕方であろうと、私は考えております。
 
 有効期限は、「単発の問題について(、易者の意見を利用するにしても、捨てるにしても)、方針を決断・実行した時点まで。」であろうと、申し上げます。
 
 kさんのご相談内容に合わせるとしますと。
 日頃は、「頭の片隅に入れておく」ぐらいにしていただきたく。無理に卦の内容に「沿う」ようなことは、しなくても良いと思います。
 「易者がこんなこと言ってたけど、まあそうかもしれないな。ここは、その方向で行くか」と思ってみたり、「いやいや、この場面ではあてはまらないよ。躊躇せず、踏み出すべきだ」と思ってみたり。
 無理に合わせることなく、自然な決断を意識されるのが、お勧めではないかと申し上げます。
 
 「特に差し迫った何かがあるわけではない」ならば、その程度に利用していただければ、と思います。
 「特に差し迫った何か」が発生して、「かつ、決断に迷ってしまった時」には、また別途ご相談頂ければと思います。易占は、そのような場面を予定しているところがあると、私は考えております。
 
 
 

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大衍筮法(十八変筮法)について、手順に省略を加えうることの証明。

 

 この記事の動画で、手順に省略を加えうる(※1~4)ことを証明する。

 実際に用いる筮竹の数は、50-1(太極)=49 本である。
 
 第一変について。
 天策をn本とするとき、人策は1本であるので、地策は49-1-n=(48-n)本。
 実際に筮竹を捌き、n(天策)を4で割った余りを求めると、得られる余りは1、2、3、4(大衍筮法において、あまりが0となった時は4本を計上するため)である。
 
 したがって、
 ①n≡1(mod4)の時、(48-n)≡0-n≡-1≡3(mod4)、地策を4で割った余りは3である。
 ②n≡2(mod4)の時、(48-n)≡0-n≡-2≡2(mod4)、地策を4で割った余りは2である。
 ③n≡3(mod4)の時、(48-n)≡0-n≡-3≡1(mod4)、地策を4で割った余りは1である。
 ④n≡4(mod4)の時、(48-n)≡0-n≡0(mod4)、地策を4で割った余りは0、よって4と計上する。
  
 すなわち、①~④については、筮竹を捌いて地策の余りを求めるまでもなく、数値が得られる。(動画※1)
 ①~③のとき、第一変は5であり、④のとき、第一変は9である。
 
 第二変について。
 第二変で使われる筮竹をx本とする。
 このとき、天策をm本とすると、人策は1本ゆえ、地策は、(x-1)-m 本とあらわされる。
 そして、x=49-5=44≡0(mod4)あるいは、x=49-9=40≡0(mod4)である。
  
 したがって、
 ①m≡1(mod4)の時、(x-1)-m≡0-1-1≡-2≡2(mod4)、地策を4で割った余りは2である。
 ②m≡2(mod4)の時、(x-1)-m≡0-1-2≡-3≡1(mod4)、地策を4で割った余りは1である。
 ③m≡3(mod4)の時、(x-1)-m≡0-1-3≡-4≡0(mod4)、地策を4で割った余りは4と計上。
 ④m≡4(mod4)の時、(x-1)-m≡0-1-0≡-1≡3(mod4)、地策を4で割った余りは3である。
 
 すなわち、①~④については、筮竹を捌いて地策の余りを求めるまでもなく、数値が得られる。(動画※2)
 第一変の結果にかかわらず、第二変は①②のとき4であり、③④のとき8となる。
 
 第三変について。
 第三変で使われる筮竹を、y本とする。
 y=x-4≡0-0≡0(mod4)、あるいは、y=x-8≡0-0≡0(mod4)である。
 したがって、第三変の結果は第二変と同じとなる。
 筮竹を捌いて地策の余りを求めるまでもなく、4もしくは8という数値が得られる。(動画※3)
 
 第一変は5か9、第二変は4か8、第三変は4か8である。
 爻の数値は、第一変、第二変、第三変の合計を、49から減じて、4で除したものとされる。
 三つの変の合計は、13、17、21、25であるから、爻の数値は、9、8、7、6となる。
 第三変の過程で、天策の余りを得た段階で、地策の余りについて実際に筮竹を捌く以前に、この数値が得られる。(動画※4)
 
 以上より、動画※1~4のところでは、手順に省略を加えうる。大衍筮法(十八変筮法)に反するものではない。

大衍筮法(十八変筮法)の解説。

 

 

動画、完成しました!

こちらドゾ~
大衍筮法(十八変筮法)

 

 文章にするとなると、結構ややこしい手順です。
 私の場合、手順の省略も行っています。
 そのため、文章化するとなると、省略についての説明も加えなければいけなくなります。
 あまりに煩雑になりそうだったため、動画にしてしまいました。

 私の手順は、「繫辞伝」に書かれた手順(を、最終的に朱子が整理した解釈)を、100パーセントなぞったものではありません。
 「その手順を実際に経るまでもなく、現れる数字が明らかである」という部分についてのみ、省略を加えています。
 大衍筮法から外れるものではないということは、断固として主張いたします。

 省略についての、数学的な証明は、こちらの記事に掲載いたしました。
 

「もう少しゆっくり、一つ一つの手順を」という動画も、そのうち作るかもしれません。

 

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易占の利用の仕方。 (再掲)

 
さて、皆さん、占いやおみくじをやった時、どうしていますか?

 

「当たった~」 「外れた~」とか。

「うわ、ひどいのが出ちゃった。もう一回やろう」とか。

「あの占い師の言うこと、当たってるよね」「全然私のことわかってない」とか。

 

それだけだったりしていませんか?

 

易占について言いますと……それだけではもったいない!

 

もともとは易占って、「当てる」ためのものじゃないんです。

迷っている人にアドバイスや励ましを送るものなんです。

 

だから、易者が言うことが「当たってる」「当たってない」もいいけれど。

易者が言ったことが「使える」「使えない」とか、

「いいこと言ってるな」とか。

そういう捉え方をしてみることをお勧めします。

 

易者がイヤな人間だったり、占いがへぼで外れたり。

そうすると、その人が言ったことは、まったく信用できないかもしれません。

 

だけど、一言でも「使える」「励ましになる」言葉があったら、

今回はハズレでも、次になにか悩みごとができた時に、

その言葉が考えるヒントになってくれるかもしれません。

易者はダメでも、その言葉を活用することはできるわけなんです。

 

 

 

逆のことも言えるんですけどね。

 

つまり、「あの占い師の言うこと、当たった~」とか、

「あの占い師、私のことよくわかってる!」とか、

そう思ってしまうと、

その占い師の言うことを信じすぎちゃったりしがちになるんです。

 

信じすぎちゃうと、

いいことがあると言われればつい努力を怠ってしまったり、

悪いことがあると言われるとパニックになったり諦めてしまったり。

そういうふうになりやすいんですね。

 

占い師がいい人でも。ウデが良くっても。

その人をまるまる信じるのはダメですよ。

 

その人の言葉一つ一つを、あなた自身がよく考えて。

当たっていそうな言葉、

自分が活用できそうな言葉、

そういうのだけを受け入れて。

 

あなた自身で決断を。

 

MIKAKUはそう願っています。

 

 

 

 

神秘のパワー

  
易学は、あまり神秘性を強調しません。

 

これは、神秘性を否定しているわけではなく。

 

「よくわからないことだから、知ったかぶりして話すのはよくないよね」

「そのぶん普通の人間にもわかるところ・できることはしっかりしたいよね」

そういうスタンスをとっているからです。…たぶん。

儒学ってそういうところがあるんです。…そのはず。

(鬼神は敬してこれを遠ざく、とか言うし。)

偉い研究者の先生とかに、そう言ったら怒られちゃうかもしれませんが。

ともかく、神秘性を強調するかわりに、

人間に深い信頼を寄せている、それが易学なんです。

不思議なパワーとか言う前に、私たちにもできることはあるじゃない!

そういう前向きな、運勢を切り開こうとする姿勢を大事にしているのです。

それこそ不思議なことに、

前向きな気持ちを持つ、それだけで。

活力や、人との繋がりや、いわゆる幸運まで。

私たちのところに運ばれてくるような気がします。

不思議パワーって、案外あなたの身近に寄り添って存在しているのかもしれませんよ。o(^▽^)o

『易経』から得られるもの。 運勢は変化します。 つらくても大丈夫。  (再掲記事)

 
易占は、『易経』によって行われるものです。

では、そのテクストとなる『易経』ってどんな本なんでしょう。

 

もちろん占いの書なんですが……。

それだけではなくて。

 

思想の書でもあるんです。

 

思想の書と言うと難しく思われるかもしれませんが。

つまりは、どう生きたらいいだろう、と迷った時に、

知恵や励ましをくれる本だということです。

 

特に、『易経』は、「運勢は常に変化する」ことを前提にしています。

 

だから、今はつらくても、苦しくても、必ず変化が訪れる!

それを確信させてくれる書物なんですね。

 

実際に、『易経』に書かれている占いの言葉には、

運勢が悪くても、そういう時にどうすればいいのか、きちんと書いてあります。

 

それに、東アジアには、易を利用して困難を打開した人々の記録がたくさん残っています。

 

ぜひ皆さんも易を利用してみてくださいね。

 

 

占いで、「運勢が悪い」といわれたときは? その2

 
前回の続きです。

さて。前回は、「いい占いだけ信じるようにしてるんだ~」という考え方はなかなか悪くない、

という話をしましたが。

 

易者としては、本当は、もう一歩前に進んでもらいたいんですね。

「運勢が悪い」と判断した時に、

「アーアー聞こえな~い」って言われちゃうと、

「ちょっ。本当にいいアドバイスあるのに」

って悲しくなったりもするわけです。

 

でも、イヤなことをきいて気分やテンションを下げたり、

プレッシャーで判断能力を鈍らせたり、

そういうふうになってもらいたくもないわけで……。

 

くりかえしになっちゃうんですが。

やっぱり、占いを受ける側の意識の問題があるのです。

占いを受けるみなさんに、ご協力いただきたいんです。

 

占いや占い師を信じすぎないでください。

占い師の言葉を、自分で判断するんだ、決断をするのは自分なんだ、

そういう意識を持ってください。

 

いいことを言われても、悪いことを言われても。

調子にのりすぎたり、落ち込み過ぎたりしないで。

アドバイスをもらったんだ、っていう、

平坦なテンションでいてほしいんです。

 

……と、書いていて気づいたんですが。

どっちかっていうと、MIKAKUは信用できる易者ですよ~って宣伝しなきゃいけなかったんじゃないかな……

ふつう、占い師を信じすぎる人より、全く信じない人のほうがおおいんじゃないかな……

アチャー。
 

占いで、「運勢が良くない」と言われた時は?

 
前回の記事に関連して。

みなさん、占いで「運勢がよくない」と言われた時、どうしますか?

 

「いい占いだけ信じるようにしてるんだ~」っていう人、けっこういます。

これ、実は割と悪くない判断です。

 

理由その1

「なんかイヤなことが起こるかも…」って、暗い気分になる、その方が損になることが多いからです。

人間って、気分やノリでパフォーマンス(ものごとの出来次第)が変わりますよね。

暗い気分でいると、あまりいいことはないんです。明るい気分ですごしたいですよね。

 

理由その2

「なんかイヤなことが起こるかも…」って考えすぎると、人間の判断能力って低下するんです。

そんな時に、「この壺や印鑑を買えば…」なんて言われたら大変です。

直接に物を買わせなくても、「だから私の言うことに従いなさい」的な誘導をされると危ないものなんです。

 

そういう意味で、「このままだと不幸になる!!」とか、キツイ口調でキツイことを言う占い師、

信用してはいけません!

 

そこまでのことはないにせよ。

 

気持ちがプレッシャーを受けて判断能力が低下している状態で。

でも自分ではあまり気付かないで日常生活をしている時に。

 

ちょっと優しい態度を見せられたりしてしまうと、

たいしたことない相手でも、ドハマりしちゃったり。

割と損をすることが多いんですよね。

 

ですから、占いを信じがちだという人には、

「いい占いだけ信じるようにしてるんだ~」というスタンス、

割とお勧めです。

 

実は、自分では気づかないけど占いの影響を受けちゃってるという人が、

潜在的にこのスタンスを取って、口にも出して、

無意識に自分を防衛している。

そういうケース、結構あるようにMIKAKUには感じられます。

 

 

<無料占い> の記事の読み方3

今回は、用語の説明を。


上のような、象徴、マーク、図のようなものを、「卦」といいます。

 

そして、上半分、下半分も、それぞれ「卦」といいます。

 

少しわかりにくいですよね。

 

MIKAKUのブログで「卦」という時は、基本的には、全体(横線6本ぶん)のほうを指します。

 

そして、この「卦」は、6本の横線(直線と破線)でできていますが、

この一本一本を、「爻」といいます。

 

ちなみに直線は「陽・剛」を、破線は「陰・柔」をあらわしています。

 

『易経』には、「卦」ごと、「爻」ごとに「辞」(うらないの言葉)がついています。

易者(占い師)はそれを解釈していくわけです。